奇跡のメダイ***
2009年 09月 25日
ヴァンプの蚤の市で昨年 ブロカントとして購入したメダイユ
今年は 実際 Chapelle Notre Dame de la Medaille Miraculeuse にいきました。
朝、9時前に到着すると既に10人くらい並んでいて わたしたちの前には南仏からパリのお友達のところに
遊びに来がてら チャペルにこられた方でした。
自分のことを守ってくれる チャペルとして 是非来たかったとおっしゃって ミサを受けにいらっしゃったとのこと 私たち四人も 中の淡いブルーの清々しく 優美な チャペルに引き寄せられるようミサを受けました。
質素なチャペルと思っていっていたので びっくりしました。
牧師様の声が聖堂に響き渡り ミサに出席している方々の歌声も丸い大きな天井から歌声に包まれて
心地よく厳かでした。
でも、私 フランス語がわからず・・・・
うーん 残念;;;
そして、棺が目に入りました。 横たわる修道女の姿 人? 本当? あらら お人形?
うーん わからない;;;
Chapelle Notre Dame de la Medaille Miraculeuse を少し調べてみましょう*************
聖ヴィンセンシオ・ア・パウロとルイズ・ド・マリヤックによって創立された愛徳姉妹会(la Compagnie des Filles de la Charite)の総本部にあたる教会で、その白く美しいチャペルは1815~1930年にかけて完成されました。フランスのカトリック信者なら、誰もが知っているというくらい、有名な教会で、今でも、世界中から、この小さな教会を訪れる人達は後を絶ちません。
教会は老舗デパート、ボンマルシェの食品館のすぐ隣に位置し、観光客はもとより、信仰心の厚い人々で毎日にぎわっています。
1830年 この地にあった修道院で研修を受けていた少女カトリーヌ・ラブレに、聖母マリアが3度現れます。
「私のこの姿をモデルにメダイユを作って、広めなさい」と告げたのだそう。
しかし、実際にメダルが作られたのはその2年後、コレラがパリを襲い2万人以上の死者が出るという不幸が訪れた時でした。 2000個のメダルが配られると、不思議なことにコレラは急速に鎮まったと言われています。
以来、「奇跡、不思議のメダイ」と呼ばれ、今では世界中の人々がこのメダルを求めてバック通りの教会に足を運びます。
不思議のメダイは 瞬く間にフランス全土へ広まり、数々の治癒や回心をもたらしたのだそう。
当時は、王侯貴族もこぞって身に着けていたとか。
しかし、カトリーヌの名は決して表に出ることなく、その一生を慎ましく老人達のお世話に捧げたのでした。
メダイユの誕生秘話は、カトリーヌの死後になって公表され、カトリーヌは、聖女の列に。
カトリーヌの遺体は腐敗せず、教会内に安置されています。
メダルの表にはマリア様の姿と「原罪なくして宿り給いし聖マリア、御身により頼みたてまつる 我等のために祈り給え。」というフランス語の文章が入り、裏は十字架とMの文字、愛のシンボルである二つの心臓の周りを12の星が囲います。